音楽用語について


いわゆる音楽用語は明治時代に輸入された言語に訳をつけたものがいまだに使われています。
でも、実際に使ってみると「???」というものも結構あるものです。

私がこのことについて考えるようになった最大のきっかけは、今から20年位前にある中学校の音楽の先生が私に話してくれたことです。
生徒に音楽用語を教えるときは

「これはイタリアで実際に使っている言葉なんですよ。だから知っているとイタリアに行った時に役に立ちます。例えばレストランに入ったときに“スパゲッティ・アレグロ”と言うとすぐに持ってくるんですよ」

と、こんな風に言うととても良く解ってくれますね。
この言葉を聞いてビックリしました。こんなことがまかり通って良いはずがありません。
でも教科書を見てみると「さもありなん」と思うようなことも沢山書いてあります。

もっとも考え方としては良いと思います。おなか一杯の時には「tanto…たくさんの意味」と言うと判ってくれます。
テレビのニュースでインタービューされていたイタリアの男性が「大きな音がした」という場面で「fortissimo」とも言ってました。
他の言葉の意味は判らなくてもこれだけはすぐに理解できました。


ここに書いてあるものは、私が普段のレッスンの時にお弟子さんたちにお話していることです。
生徒さんの中には「語録を作って」なんて言う方もいらっしゃいましたので、この際ボチボチとまとめてみようと思っています。

学校の教科書に載っている内容と比較してみました。


ご意見、ご質問、「こんな言葉は?」というリクエスト、何でも受け付けます


まずは ABC順で思いつくまま…。
少しずつ増やします…そのうちに…。

と言ってるといつまでも進まないので、ABC順より「思いつくまま」を優先にします。

ついでに日本で呼ばれている作曲家の名前などの「???」を

更にはそれ以外の「???」を

言葉 教科書に載っている意味
(教育出版社より)
イタリア語の辞書から
(小学館「伊和中辞典」より)
私の独断の意見 その他
Adagio ゆるやかに ゆっくりと、静かに 赤ちゃんが寝ているからAdagioで歩きなさい…。といった引用文を見た気がするのですが、何で見たのか今捜索中です。 ad agio が語源のようです。
agio には 気楽、安心、くつろぎゆとりといった意味があります。
Allegro 快速に 陽気な、快活な、楽しい、明るい、朗らかな、鮮やかな、 さて、用語のことを考えるきっかけになった言葉です。確かに「本来の意味」を表現するにはある程度の速さを必要とはするでしょうが、「速く」という意味には「Presto」という立派な言葉があります。
Andante ゆっくり歩くような速さで 平凡な、並みの、やや劣った、
安物の、二流の、凡庸な
この言葉の意味はどう解釈すればいいのでしょう。 「気どらない」感じがしませんか?
Andanteino アンダンテより速く アンダンテよりやや速く
この接尾辞も解釈が難しいようです。アンダンテの自然な雰囲気を更に優雅にしたような感じのような気がします。 -ino は「小さい」「かわいらしい」の縮小の意を表す接尾辞
Animato 記載なし 活気のある、活発な、生き生きとしたにぎやかな Anima は「魂、心、霊魂」、Animale は「動物」、Animare は「生命を与える、輝かす、刺激を与える」などの意味があります。
Fermata ほどよく延ばして 止まること、停止、停留所 「止まる」と「延ばす」ではずいぶん意味が違うように思います。 何はともあれイタリアでのスナップ写真を見ていただければ一目瞭然と思います。 駅のプラットホームにも昔はフェルマータのマークが有った気がします。どなたか情報をお持ちでしたらご連絡ください。
Largo 幅広くゆるやかに 幅広い、ゆったりした、余裕のある これはまったくそのままですね。
Lento 記載なし 遅い、のろい この言葉が純粋に「遅い」という意味です Adagio 、Largo 、Lento はきちんと使い分けるべきです。 教科書しか知らないと、どれも「遅ければいいんでしょ」となってしまいます。
Moderato 中位の速さで ほどよい、手ごろな、穏和な、 これも困った言葉です。イタリア語に「molto」という言葉があります。これは「非常に」という意味です。さて、「molto moderato」はどう訳しましょう? 「非常に中位の速さ」でしょうか? いいえ「非常に穏やかに」です。 イタリアに行かれた方からの報告で「イタリアの高速道路に《moderato》と書いてあった」ということです。 さしずめ「スピードは控えめに」といったところでしょうか。
ここから下は読み方についてです。
名前 教科書での呼ばれ方 現地での発音
(カタカナ表記には限界がありますが…)
独断と偏見 徒然なるままに
Johan
Sebastian
BACH
ヨハン
セバスチャン
バッハ
ヨハン
バスチャン
バッハ
英語読みとドイツ語読みがごちゃ混ぜです。ドイツ語はS+母音で始まる場合はにごります。「アイン・ッツ」を「アイン・ッツ」と言いますか?良識ある本にはゼバスチャンと書いてあります。でも、バッハはまだ救いようがあります。 英語が今の日本人にとっつきやすいのはわかりますが世界には200の国や地域があり100以上の言語が存在します。その一つ一つを尊重しないで全て「英語が一番」のような考え方はいかがなものでしょうか?

北京を「ホッキョウ」上海を「ジョウカイ」と発音しますか?でも大連は「ダイレン」なんですよね。ああ、不思議…。



以前書いておいた「ザルツブルク」のことで情報をいただきました。「ルツブルク」は「ルツブルク」の方が近いかも・・・と。

オーストリア政府観光協会の見解です。『確かにドイツ語のような<ザ>とは発音しないけれど、やはり軽く <ザ>と言うので観光協会としては「ルツブルク」と表記する』とのことでした。電話口で発音してくださいました。観光協会の親切な対応に感謝です。

ところで最近の疑問…オーストリアの首都WIENは本当にウィーンと発音するのでしょうか?どなたか行かれた方がいらっしゃいましたら、是非現地の発音を教えていただきたいものです。私の耳には「ヴィーン」と聞こえるのですが…。
またオーストリア観光協会に電話しなくては・・・(笑)



こんな辺ぴなホーム・ページに見ず知らずの方からのご意見をいただけるのがインターネットの凄さです。ご意見をくださった方ありがとうございます。早い話「ドイツ語」のことで「オーストリアの都市」を引き合いに出した私が軽率だったのです。

いずれ頭初にも書いてある通り「カタカナ表記」には限界がありますよね。
BEETHOVEN ベートーヴェン ベートホーフェン さて、これは一体どういうことでしょう?きっと英語読みが日本に入ってきて、そのままにされているのだと思います。でも100年経って誰も訂正しようとしないのはなぜ?ドイツで勉強して来た方はみな知っているはずです。そんなこと「どうでもいいじゃない」とおっしゃる方もいるかも知れませんが、何年か前にアメリカの大統領の名前を「ーガン」から「ーガン」にあっという間に直したことがありましたよね。ここでも「アメリカ優先」ですか(笑)。

ドイツで音楽の勉強をなさった方から貴重な証言を頂きました。 BEETHOVEN はドイツでは「ビィートホーフェン」に近い発音で読んでいるとのことです。


EDELWEISS エーデルワイス エーデルヴァイス これもドイツ語を変な読み方してるんですよね。まあ、濁らないほうがきれいと言えばきれいなのですが・・・。でも「サウンド・オブ・ミュージック」の映画の中では「エーデルヴァイス」と発音してますよ。 そうそう先日某教育関係出版社の出している「歌集」にこの歌の英語の詞が載っていました。 小学生向けとあってご丁寧にフリ仮名も振ってあったのですが…。 「エイドゥルワイス」でした。 思わず笑ってしまいました。 固有名詞なんだからドイツ語読みでいいでしょ? 英語の辞書にも載っていますが、発音記号は[eidlvais]です。 映画の中では「エィドゥルヴァイス」でもなく「エーデルヴァイス」ですよ。 この出版社の方は映画を観たこと無いのでしょうかねぇ(笑)。ジュリー・アンドリュースのライヴでは確かに「エイドゥルヴァイス」でしたが…。英語訛りになっているのでしょうね。
ГаЯнз

GAYANE
ガイーヌ ヤネー 「剣の舞」で有名なバレエ音楽ですが、この言葉はアルメニア語です。上に書いてあるのが原語。下はよく見かける英語のスペルだと思います。でも、英語読みしても「ガイーヌ」とはなりませんよね?まだ「ガヤーネ」と書いてある(いくつか見かけます)ほうが近い。作曲したハチャトゥリアンも英語のスペルには頭にKが付いています。「カチャトリアン」の方が近いのかもしれません。
ここから下は何でもありのコーナーです。
DAS WOHLTEMPERIERTES KLAVIER

THE WELL TEMPERED CLAVIER(英)
バッハJ.S.作曲
   「平均律クラヴィア曲集」

バッハは当時考案された平均律で調律したピアノ(の前身の楽器)によって「どんな調性でも演奏ができる」ことを証明した。

?????
確かに24ある全ての調性で作曲されています。何も疑う余地は無さそうですが…。
実はバッハ(彼に限らずきちんとした耳を持っていた音楽家)は平均律による音の濁りを嫌ったようです。原題は上に書いてあるドイツ語ですが、参考までに下に英語表記も載せておきます。少し英語に親しんだ方なら《WELL》という言葉はよくご存知と思います。「良い調律」というのは恐らくヴェルクマイスターが考案した調律法だと言われています。
ピアノに平均率の調律が一般的に使われ始めたのは19世紀の中ごろからで、定着したのはドビュッシーの頃だと言われています。モーツァルトは「俺の曲を平均率のピアノなんかで弾いたりしたら殺してやる」とも言っていたそうです。
調律法についてのホーム・ページは沢山あります。読んでいると頭が痛くなるかもしれませんが、興味がある方は覗いてみると興味深いものがあります。調律法による違いを実際の音で聴くことが出来るページもあります。
音楽の父:バッハ

音楽の母:ヘンデル
昔、音楽室にはよく音楽家の年表が貼ってありました。一番左側はバッハとヘンデルでした。…今は少し違うようですが…。
教科書などにも「音楽の父・音楽の母」などという表記を見かけました。
多くの方はもうよくご存知と思いますが、音楽の歴史ははるか昔からずっとと続いています。バッハにしろヘンデル(ドイツ人?イギリス人?)にしろ素晴らしい作曲家ではありますが、彼らは音楽の歴史の1ページに過ぎません。誰がこのような言い方を広めたのか判りませんが、非常に主観的で罪作りな言い方だと思います。 現在はあまりそのような表記を見なくなったことは大変喜ばしい傾向だと思います。
モーツァルトはオーストリアの作曲家? ザルツブルクで生まれ最後はウィーンで活躍をしたモーツァルト・・・何の疑いもないと思いますが・・・。 そもそもモーツァルトのいた頃オーストリア(帝国)はあったのでしょうか?答えはNOです。オーストリア帝国が出来たのは1806(4)年。モーツァルトはご存知の通り1791年に他界していますから、彼の生前には「オーストリア」という国は存在しなかったのです。
(この頃は「神聖ローマ帝国」が広くヨーロッパの中央にありました。ドイツやイタリアという今現在のような統一された国はまだ存在しません。イギリス・フランス・スペイン・ポルトガルなどはありました)
でも、彼はザルツブルクとウィーンが主な活動の場でしたのでオーストリアにちなんだ作曲家であることは確かです。
歴史を知る上で国(民族)の移り変わりは大変重要な事柄だと思います。いわゆる「ライン・ラント」の方々は、ある年はドイツ人・ある年はフランス人として生活することを余儀なくさせられています。有名な作曲家が歴史的にライン・ラント地域に存在していたら、その人のことを「なに人」と言っているのでしょう?


もちろん歴史を研究なさっている方にはこのようなことは「当然」でしょうが、こと音楽に関してはどこかの誰かが主観的な意見を強く述べて、下々はそれにひたすら追随する形で物事が進んでいます。 大変嘆かわしいことと思っています。



石井 宏さんの著書の幾つかは、その辺を小気味よく批判していて、読んでいても楽しくなります。
同じく…ベートホーフェンはドイツの作曲家? 「ドイツの3大Bと言えば?」と問われれば「バッハ・ベートホーフェン・ブラームス」がその答えです。 上記のモーツァルトでも書いたとおり「ドイツ」という国は1871年に出来ました。ブラームスこそ1833〜1897の作曲家ですのでかろうじて「ドイツの」ですが、バッハもベートホーフェンの時代も「ドイツ」という国は存在しなかったのです。
バッハは現在のドイツの範囲を超えてはあまり移動はしませんでしたが、ベートホーフェンは生まれこそボンですが、主な活動の場はウィーンでした。

もちろん彼自身はドイツからオーストリアに国境を越えて移動したなどとは夢にも考えていなかったはずです。


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